遍路・巡礼の道と日本列島
─ 森の宗教の修行 ─
四国六番安楽寺 住職:畠田秀峰

第一節 縄文人の成人通過儀礼(イニシエーション)

 それでは弘法大師が実践し、成就した縄文時代からの日本古来の原始宗教の実践とはどのようなものなのか。土取利行氏は、考古学や民族学的データによる推論と断った上で、「イニシエーション……その中でもひときわ重要なのが少年から成人に変わるとき行われる成人式儀礼であろう。……この時少年は母とこれまでの親子関係を断ち切り、一人の人間として自立し、……森に入って断食状態で孤独に耐えたり、獣や大人たちからの襲撃を受けたりと、『ほとんどふるえあがるほど恐ろしい』体験を通して、完全に『別人』になるのである。こうして肉体的、精神的極限状態を脱した者こそが一家の、そして村の一員として認められ云々」としている。

弘法大師「空海」の四国でのご修行

 弘法大師は讃岐の国、善通寺(四国七十五番)で御誕生になり、十八才で都の大学に入学、十九才で大学を退学して、四国の山野海浜での修行に入られた。「ある時は四国、伊予の国石鎚山では自ら糧を絶って断食の行をつづけた。」(『三教指帰』)と自ら書き残されているように弘法大師の十九才~二十七才頃までの修行の内容は木食草衣、断食、滝行、岩屋籠り、辺地修行等であり修験の行であった。五来重氏はその著書「空海の足跡」の中で「修験道は、日本の原始宗教が陰陽道(おんみょうどう)や仏教と結合した形態であるが、つねに原始回帰を志向する宗教であるところに特色がある。」と書いている。

本当の自分への脱皮

 わたしも二十歳前後の時、約七年間くらい熱心に木食行に取り組んだことがある。この木食行の行き着くところは断食であり、断食の行き着くところは一週間飲まず食わずで過ごすことである。
 そうすると、ほおは落ち、あばらが出るほどやせ細ってくる。寒さも暑さも感じない。氷柱(つらら)の張る滝に打たれたことがあるが、これも刺激が心地よいくらいである。死ぬことも自然にこのまま草木が枯れるように死ぬことができるということに気付く。
 わたしは何度もこの一週間飲まず食わずの行をやったが、最初の時、顔の皮が一枚きれいにはがれたのを覚えている。「一皮むける」とはこのことを言うのである。
 この修行をして、自坊に帰った時、何が変わったか。というと、外目にはほとんど変わりなく、少し穏やかになった、という程度であったと思う。自分では、次々と変化に気が付いた。先ず、「阿波踊り」が踊れるようになったのである。子どもの頃は見よう見まねでよく踊ったものであるが、二十歳に近づくにつれて身体に心が付いて行かず、踊れなくなっていた。又、それまではいくら練習をしても書けなかった信者の家のお床に掛ける書が難なく書けるようになっていた。
 両親や先生のものまねではなく、人生の喜び、楽しさ、悲しみ、さびしさのオリジナルな自己表現ができるようになったのである。こういう時、縄文の親たちは子どもの踊りを見て(踊り、笛、太鼓、歌、縄文土器造り)「これでうちの子も一皮むけた、一人前になった。」などと喜んだに違いないのである。
 「本当の自分への脱皮」これを日本列島では古来より「神との出会い」と呼んできたのである。

第二節 四国遍路の修行の型

 松浦武四郎(北海道の名付け親・探検家・一八一八~一八八八)が江戸後期に書いた「四国遍路道中雑誌」には遍路に三つのランクがあることを道中で聞いたことを記している。そのうち下遍路は従者に荷を担わせ、楽に歩く遍路のこと。中遍路は、宿に泊まり飲食に金を浪費する遍路のこと。上遍路は、托鉢して僅かの功徳を受ける遍路のことだという。
 最もレベルの高い「上遍路」の修行は、乞食(托鉢)、野宿というものである。
 縄文の成人通過儀礼、弘法大師の四国御修行(修験道・木食行)、「上遍路」は同一線上にある。そして、日本列島の「森の宗教・文化」はこれらの実践と成就を核として僧侶や行者の世界から庶民におよび、日本人の生活や文芸、芸能にまで広く影響を及ぼしてきた。
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