徳島県 温泉山 安楽寺|四国八十八ヶ所霊場 一番最初の宿坊

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歴史

成り立ち

平安の時代、四国を巡錫中の弘法大師様が、この地に霊泉が湧き出ていることを発見されました。

その湯は万病を治癒する効果があるとされ、弘法大師様は病魔から人々を救う「薬師如来様」と縁深い土地であるとおっしゃられ、お堂を築き薬師如来様を刻んで安置されました。
弘法大師様が湯治のご利益を伝えた地でございます。

厄除けのさか松の由来

この松にまつわるお大師様のお話を紹介します。
お大師様の身代わりとなった松をさかさまに植えたところ、見事に芽吹き立派な松となりました。
そこから、安楽寺は厄除けの寺として現在に至っています。


平安の昔、お大師様四十二歳(大厄、男性の厄年)のお年に四国を巡錫されている途中、当地にて薬師如来の影現をごらんになり、一心に国家安穏・諸人快楽を祈られました。


その折、狩りをしていた青年猟師がお大師様を獲物と間違えて弓矢をはなってしまいました。


すると、松の木の枝が風もないのになびいてその矢を受け、お大師様の身代わりとなりました。


必死に謝る青年猟師に事情を聞くと、病気の父親のために猪の肝を食べさせようと思って狩りをしていたと言います。


お大師様は青年猟師の父親をお加持し、「私利私欲を離れて懺悔し、供養の心を起こし、世のため人のために自分を惜しむことなかれ」と説法されました。


その翌朝、不思議なことに、寝たきりであった青年猟師の父親の病は治り、足腰が立つようになっていたのでした。


お大師様は、身代わりになった松の枝を青年猟師にさか様に植えさせ、「もしこの松が芽を出し栄えることがあれば、後にこの地をふむ者は厄除けの法によって災厄を逃れるであろう」と言い残されました。


後にこの松は芽を出して栄え、弘法大師身代わりの「厄除けのさか松」と言い伝えられるようになり、安楽寺は厄除けの寺として今日にいたります。

宿坊として

安土桃山時代には「駅路寺」として定められました。
その当時、阿波の国には遍路や旅人のための宿泊施設がなく、駅路寺とはそういった人々に宿や食事を提供して保護するために藩が指定した寺院でした。
安楽寺は八十八ヶ所の中で唯一の「駅路寺」として今日に至ります。
400年の歴史ある宿坊(宿泊施設)には温泉山の山号の通り湯治があり、今もお遍路さんや旅人の疲れを癒しています。

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