平安の昔(弘仁六年)四国を巡錫中のお大師さま(弘法大師)は、この地にて温泉を発見なさいました。この温泉をご覧になったお大師様は「この地は、病魔から人々をすくう薬師如来様とご縁の深い土地である」とおっしゃられ、万病の治癒に効果があるこの温泉のほとりにお堂を築き、薬師如来を刻んで安置されて、山号を「温泉山」寺号を「安楽寺」と名付けられました。お大師様が我が国に温泉湯治のご利益を伝えた全国でも珍しい旧跡です。



安土桃山時代には阿波徳島藩の藩祖である蜂須賀家正公より「駅路寺」として定められました。その当時、阿波の国には遍路や旅人のための宿泊施設がなく、駅路寺とはそういった人々に宿や食事を提供して保護するために藩が指定した寺院でした。安楽寺は八十八ヶ所の中で唯一の「駅路寺」として今日に至ります。400年の歴史ある宿坊(宿泊施設)には温泉山の山号の通り温泉があり、今もお遍路さんや旅人の疲れを癒しています。



蜂須賀氏の人物の中で歴史的に最も有名なのは蜂須賀小六(はちすかころく)の名で知られる豊臣秀吉の重臣であった蜂須賀正勝(はちすかまさかつ)です。尾張蜂須賀村(愛知県美和町)の出身。金銭によって武士の戦に参加する傭兵集団の頭目であったと言われています。正勝は若い頃よりその人柄からか様々な階層に人脈があり、身分を問わず人との交流を大切にしてきました。織田信長につかえ、桶狭間の戦い、稲葉山城攻防戦、姉川の戦い、小谷城攻防戦など数々の戦に参戦。秀吉とともに群雄割拠の戦国時代を乗り越えてきた人物です。信長が本能寺の変で没した後は秀吉軍団の名参謀として活躍。人というものを熟知していた正勝はその卓越した交渉術をもって秀吉の天下統一に貢献し、秀吉が四国平定を果たした後、戦功のあった正勝とその嫡男家政(いえまさ)は阿波の国(徳島県)を与えられ家政が徳島藩の藩祖となり、以来明治維新まで蜂須賀氏が徳島を治めました。その当時阿波の国には遍路や旅人のための宿泊施設がなく、家政公は宿に困る人々のために当山を駅路寺(官寺)と定め、遍路や旅人を保護しました。以来四百年以上、安楽寺は宿坊(宿泊施設)を続けています。


平安の昔、お大師様四十二歳(大厄、男性の厄年)のお年に四国を巡錫されている途中、当地にて薬師如来の影現をごらんになり、一心に国家安穏・諸人快楽祈られました。


その折、病の父親に猪の肝を飲ませようと狩りをしていた青年猟師がお大師様を獲物と間違えて弓矢をはなってしまいました。


すると、松の木の枝が風もないのになびいてその矢を受け、お大師様の身代わりとなりました。


謝る青年猟師に話を聞くと…


お大師様は青年猟師の父親をお加持し、「私利私欲を離れて懺悔し、供養の心を起し、世のため人のために自分を惜しむことなかれ」と説法されました。


不思議、翌朝青年猟師の父親は足腰が立つようになっていたのでした。


お大師様は身代わりになった松の枝を青年猟師にさかさまに植えさせ、「もしこの松が芽を出し栄えることがあれば、後にこの地をふむ者は厄除の法によって災厄を逃れるであろう」と言い残されました。


後にこの松は芽を出して栄え、弘法大師身代わりの「厄除けのさか松」と言い伝えられるようになり、安楽寺は厄除けの寺として今日に至ります。

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